2011年4月11日月曜日

美しく重くにぎやかで苦い

まぁ、そんな1日でした。
内訳はこんな感じで↓


【備忘録】
4月10日(日)
午前中、木曜だったか、唐突に「花見に行きたい」とご所望のパパ上。土曜日は天気がすぐれずかつ強風のため今朝に延期に。とにかく混雑を避けられ、歩く距離が長過ぎず、車で行けてかつなんとか駐車できそうということで、善福寺公園にお連れいたしました。
薄曇りがちながら暖かく、ついに今日、咲きそろったばかりのフレッシュな桜。散り際も良いものですが、咲き端な(はな)は文字通り瑞々しく、美しく。人出もまだほどほどで、ゆっくりと一周できました。
4月10日撮影:母と不思議ファッションの父
父が寒がったので、母のストール(というかほとんどマント)を
お召しいただきました。
春の日曜日の公園でいささか浮いておりましたが、
ま、西部劇の趣きと見ていただければ・・・。
4月10日撮影:池の前で一休みの殿下
駐車場所をさがして迷走している間、お三方は先に公園へ。
こちらの殿下におかれましては、公園に足を踏み入れるなり、
念願の善福寺公園詣でが叶った喜びを
激しい右往左往と上下動にて表現されたとのこと(母談)。




2011年4月6日水曜日

二郎太展やってます

まだ肌寒いですね。
うちの近所の桜は、ようやく五分咲きといったところでしょうか。
本日も妙に足先だけが冷たくて、冬眠状態のようなアタクシです。

計画停電地域外というのもあって、私自身の生活はほぼ平常どおりです。
いつものようにいちおう浄水器を通した水道水でミルクティーを入れてガフガブ飲んでます。
(が、わが家定番の○プトンの一番安くてウマい個包装無しティーバッグがお店から消えたらしい!)
買いだめ&買い占めもまったく無縁。
これもみな日頃から生協利用&備蓄グセのある母上のおかげです。

そんな中、昨日、われらが旅の友、オーストラリアのウェンディがメールをくれたんです。
震災のニュースを聞くにつけ、私(とTさん)のことを考えていたと。
東京でなんとかやってるか?移住の手だては?とか、なんだかすごく深刻に心配してくれているんですよ。
「ぜんぜんオッケーだよーん!」とお返事しました。
東京で、毎日ゴハンが食べられて、あったかい部屋(じつはMac部屋はちょっと寒いけど)にいられて、お風呂に入って、そんなアテクシら都民どもは、自分の心配をしとる場合じゃないっす! 被災地の人たちを助ける場合っす!
・・・的なことを勇ましく書いたつもりでしたが、実際はほとんど何もできていない、というか、何をするのが本当に良いかがまずわからない。

とあるお店の元&現店主様のはからいで、直接支援的なことにほんのちょこっとだけ参加させていただくことができました(下着他送っただけです)が、個人でできることってほんとうに文字通りささやかすぎるほどささやかです。もちろんやらないよりは良いだろうとは思うし、大変な思いをしてトラックや燃料、灯油、水などなどの確保をした上、まだまだ支援が充分でなさそうな小村へ届けてくださったおふたりには感謝してもしきれませんが。
本当はこういう時、「どの地区に今何が足りなくて、どこがいちばん危機的!」という情報を包括的かつ迅速かつ随時的に公表しつつ、もう公的機関だろうが個人の支援物資だろうがガンガン受け付けて運ぶ、システムというかネットワークが欲しい。つまり情報と物流。それこそが必要だし、でもいちばん難しいことなんだろうなぁと。痛感しました。

閑話休題

で、タイトルの山喜多二郎太展、去る4月2日より開催中です。
吉祥寺美術館が2003年に続き(続いてないか)、2度目の企画展をしてくれました。
二郎太は、あたくしの父方の祖父にあたります。
さすが美術館さんで、わが家と叔父のところから寄贈したものから、良い作品を選んでかけてくれています。
5月15日までやっていますので、絵がお好きな方はおついでの際にでものぞいてみてくださいませ。そうでない方も、吉祥寺においでの際、「ありゃ、ちょこっと時間が空いちゃった」なーんて時にもいかがでしょう?

山喜多二郎太展 4月2日(土)〜5月15日(日)
※4月27日(水)は休館です。
武蔵野市立吉祥寺美術館
こちらは前回の記念展に合わせて私が作った二郎太のプロフです。



【備忘録】
4月3日(日)
父母と3人で山喜多二郎太展へ。現場(って言ってよいのか?)で従兄夫妻と落ち合い、別所でお茶しました。なぜか七福神の全名前を言えるかどうかが話題に(誰も言えなかったyo。中高年せいぞろいなのに)
ちなみに上のポートレイトは、杇木さんという写真家の方が撮影したものですが、遥か昔の撮影で(祖父は1965年に死去)、かつ杇木さんの消息も不明なため、わが家に残った小さなサービスサイズのプリント(激しく色焼けしていました)から、せめてもの祖父孝行にとアタクシがMacちゃんで復元し、データ化したものです。今回も使ってもらえて、密かにウレシイっす。

3月12日撮影の殿下。
3.11以来、すっかり地震探知犬となり、人間が感知できない地震にも反応して吠えるクセが・・・。普段から防空ずきんを装着しております(ウソ)。

3月12日撮影の殿下。
ま、いつもと同じです。散歩中の座り込み発動。
その真意はよーく存じておりますが、善福寺行きはまたの機会にお願いします。

※警告 以下【U指定】写真が含まれます。お食事中の方、繊細な方、キレイ好きな方はご遠慮ください。

2011年4月1日金曜日

ウソみたいなことばかりなので

いやはや4月になってしまいました。
マーチ・イレブンとでも言うのでしょうか、震災自体がウソのような規模と破壊力だった、いや今現在もその脅威は原発事故という形で続いているわけなので、4月1日とはいえウソのひとつも思い浮かびません。

ともあれ、今さらながらですが、私もダリ含め家族も無事です。
6年ほど前のリフォーム時に耐震補強はしたものの、基本、築50余年の木造のわが家、2階のわが仕事部屋の揺れっぷりはなかなかのものでした。というか、数日前まで余震でちょっと酔い気味でした。
しかし、花瓶が1つ割れ、本棚2段分の中身が崩落、床に積み上げていた古書類の山脈が雪崩を起こしたくらいで済みましたし、もとよりカオスな状態がより強化されたといったところです。被災地の人たちの苦難を思えば蚊に刺された程度の被害でしょう。

ぼちぼち通常営業でやっていますが、いよいよ春〜初夏の繁忙シーズンが始まるというのに準備がイマイチ。心の中のどこかが震災前とは決定的に違っている気がしています。
水道水は平気で飲んでいますけどね。

※追記(4/1午後)
上の雑文を書いた時点で、なぜか4/9以降のエントリーが表示されておらず、かつ私の記憶もナッシングだったので、同じことを2度書いてました。失礼いたしました。大丈夫でしょうか、あたくし。